東京は湯島にある木村硝子店は硝子問屋として明治43年(1910年)に創業した。かつてJALのファーストクラスで用いられたのは全て木村硝子店のグラスだったということからも、その隆盛は窺い知ることができる。しかし、最盛期は全国の中間問屋から大量に入っていた注文が、時代が変遷し、中間問屋を挟む商売が成り立たなくなっていたにも関わらず、昔のやり方のまま、営業を全くかけないでいるうちに売上は落ち、一時は倒産の危機もあった。そんな中、家業を継ぎ、今や飲食店業界のみならず、一般の方々にもその名前が響き渡るようになるほど見事に舵を切った、3代目社長の木村武史さんにお話を聞いた。
生まれも育ちも湯島。通った小学校は横山大観が卒業生だった。工作が得意で、ハガキのサイズに合わせて状差しを作り、「これではハガキが落ちないか?」と先生が心配するような、自由な発想で思いもよらない構造を作った。今の本社ビルや商品のグラス、見本市の什器のデザインも手掛ける木村さんだが、デザインが好きというより、形が頭の中に立体で組み立つのだという。
さて、創業以来、大口の取引専門だったが、5〜6年前に元ショールームだった場所を個人向けのショップとしてオープン。社内では、ただでさえ忙しいのにショップなんて反対です!という声が多かったそう。けれど、「そんなにお客は来やしないよ」と押し切った。そもそもショップで大いに売ろうとは考えていなかったし、実際に週3日の営業で、売上は大したことはないという。では、なぜショップを作ったのか。
「ここはね、ファッションショーなんだよ」と木村さん。聞けば、デパートのアルバイト料が日給450円の大学時代にテレビで見た、後楽園球場を借り切って2億円をかけたファッションショーのことがずっと頭に引っかかっていたのだという。一体これだけのことをする意味はどこにあるのだろうか?と。
時間は飛んで、70歳で若手に交じって通ったブランディングの講義で、その答えとなる啓示が降ってきた。そうか、ある有名な服飾ブランドを好きでもないし買わないが、おおよその価格帯や大体の雰囲気は知っているように、広く一般の人に知ってもらうことが大事なのではなかろうか。「要するに、買わない人に知ってもらうってことがどれだけ売りにつながるか」。名前さえ知ってもらえればいいのだ。
その時から、飲食店のその向こうにいる一般の人がうちの名前を知ってくれたらと、これまでは卸中心のため、雑誌掲載時などには断っていた店名のクレジットを、逆に敢えてつけてもらうようにした。そして、ネットや雑誌で木村硝子店を知った人が現物を見に来られるように、個人向けのショップをオープンしたというわけだ。ショップスタッフには常々「買わないお客が大事だよ」と言っている。
ショップに来て驚いたのは、木村硝子店の代名詞だと思っていた、手作りガラスの薄くて軽いグラス以外にも、どっしりとしたグラスや、街角のバルに合いそうなラフなグラスもあること。「ここには騙しのテクニックがいっぱい詰まっているよ」と木村さんは店内を見渡す。例えば、木村硝子店のシンボルとも言える「木勝」シリーズ。木勝とは創業者の木村勝氏の愛称に由来する。「売るための商品じゃなく、木村のデザインは素敵だよねって勘違いさせるデザインを」と、社内デザイナーの三枝静代さんにデザインを一任した。アンティークグラスからインスピレーションを受け、木の葉のように薄い手作りガラスのさまざまな形状のグラスに、職人が切り子細工を施した、何とも可憐で一度見たら忘れられないシリーズだ。
「他の人に通じるかどうかは分からないけれど、僕には通じる」と木村さんが一目置く三枝さんのデザインは評判になり、木村硝子店に注目が集まった。だがあくまでも「こんなにデザイン重視で使い勝手の悪いグラス、誰も買わないでしょう」。でも、「木勝があるから、普通のデザインのグラスが、他所にも似たようなのがあるのに、素敵に見えるんだ」と木村さん。木勝はバーや飲食店で出会っていただけたらと、カタログにも載せていない。
「あとはね」と、打ち明けるように、「昔からうちなりに真面目に商売をしてきたの」と、ある時、「寸法が合っている」と工場と揉めた話をしてくれた。「いくら寸法が合っていても、俺の気分に合わなきゃ不良品だよ」と言う木村さんに、工場側は「え〜!?」と困った。でも、「俺は買う人の代弁者だ。買う人は気分で買っているの。これは寸法に合っています、だからいいものですって買う人もいるかも知れないけれど、木村はそういうお客は相手にしない」。寸法が合っていても、微妙にグラスの下のほうの肉の溜まり方などによって雰囲気が違ってくる。飲食店で朝から晩までグラスを触っている人や、ソムリエなど、ものの肌合いや感覚でグラスを買う、研ぎ澄まされた感覚の人が木村硝子店のお客には多いという。
「うちのグラスは売ろうと思っても売れるグラスではないんです。でも欲しいと思う人はどうしても欲しい。買ってくれるのは100人に1人か2人、そういうグラスです」とは、木村さんがかつて問屋の番頭さんに言った台詞。木村さんの言葉には「人がどう思おうと」というフレーズがよく出てくる。どれだけ闘って、どれだけ自分を信じてきたのかと思わされる。「商売って、遠回りするといいよね」という言葉も、そんな木村さんならでは。「売れようが売れまいが」、大好きだから40年間売り続けてきた小松誠氏デザインのくしゃくしゃグラス(正式名はクランプルオールド。MOMAパーマネントコレクション)は今が一番売れているとか。
「世の中に既にある形を、ちょっとだけ僕の形にしただけ。全く新しい発想でものを作っていない」。確かに世の中にグラスはたくさんある。だけど、その中で抜群の存在になることの裏には、自分に響くものをとことん突き詰める美意識と、使い手のお客に向かって商売をしているという意識があるよう。最後に「空気が楽しいお店を作るべきだよね。楽しさは色々あるけど、空気が好きなほうに人は行くじゃない?」と笑顔。ぜひその空気感に包まれに、足を運んでみてほしい。
(写真と文 篠田英美)
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