あの人に手紙を書こうと、カキモリ(Kakimori)で「からり」という名の青いインクを買った。説明文には「どこまでも晴れ渡った空のように、すがすがしく。この青が手元にあればきっと、心に晴れ間がのぞきます」とある。ああ、いいなあ。ぽてっとした有機的な形のインク壺も愛らしい。専用のローラーボール(ペン)は、くるくる回すと透明な筒がインクを吸い込んでいく様子が楽しく、インク補充が驚くほど簡単。でも、肝心の手紙は書けなかった。今どき手紙なんて重いかな、と尻込みしてしまったのだ。インタビュー中にそんな話までしてしまうほど、文具というのは個人的なものだと思う。今回は、東京の蔵前にある「書く」ための道具を扱うお店「カキモリ」代表の広瀬琢磨さんにお話を伺った。
「地域の役に立てたら」と、カキモリが作成し無料で配布している地図「カキモリのある町」によると、「蔵前は、浅草、御徒町、浅草橋、馬喰町にもほど近く、ものづくりの息吹と、なつかしさに満ちた散策にも楽しい街です」。神社の緑は濃く、箸屋や籠屋、皮製品店などを覗きながらそぞろ歩く観光客も多い。この街で、カキモリは2010年に14坪のお店から始まった。文具店の3代目である広瀬さんは、10年後も20年後も価値あることは何かと考え、「書くこと」に特化したお店にすることを決めた。スタート時から、建築家とアートディレクターという、プロの視点を入れることで、スモールスタートではなくその時にできる最高地点からスタートを切り、更なる高みを目指してやってきた。
「普通のお店じゃつまらない」と考えていた時に、見本市で米国製の製本機に出会ったことで、表紙や中身の紙、留め具までを自由に選べる「オーダーノート」というサービスを始めた。当時はお店の1〜2km圏内に町工場が多くあり、印刷する人、断裁する人、生地の裏に紙を張る人、生地でくるむ人、など、超分業の職人の技に支えられた。入り口近くの壁には職人さんの写真が飾られている。ただ、この写真は25年末までに撤去。亡くなったり、廃業したりしたからだ。今では町工場とのネットワークは全国に広がった。小さな工房だからこそできる、小ロットでの高品質なものづくりは「日本の強み」。「カキモリの特徴であるカスタマイズと日本のものづくりの良さを掛け算して付加価値を出していけたら」と語る広瀬さんの眼差しは日本よりむしろ海外に向いている。
現在の店舗は、元自動車整備工場。通りに面したシャッター部分をガラスにして、外から見え、表とのつながりのある開放的な空間にした。「下町っぽいけど、下町っぽくない」というのがテーマとのことだが、筆者はここに洗練された海外の空気を感じる。高い天井や、インバウンドのお客様の姿が目立つせいだろうか。床はヘリンボーン状に木材が組まれ、所々に散りばめられた色は色鉛筆のよう。中央には、全方位から見えるアイランドキッチン風に、製本機やレジなど、店員さんが立ち働く場所がある。「店員とお客様の関係をフラットにしたかった」と広瀬さん。お客様との距離感は特に大事にしていて、壁がないことで店員とコミュニケーションが取りやすい、と同時に、話さなくてもお客様が自由に品物に触れられるようにしてある。2階は元工場の事務所スペース。1階を見下ろす一角に「インクスタンド」があり、十数種類から色を選んで調合し自分だけのインクを作ることができる。
「大手がやらないことをやろう」と、戦わない戦略で生き残ってきた。ノートやインクが作れたり、つけペンがあったりと、「うちが発明したわけじゃないけど」昔からあるようなことを再編集して面白くする。小売店同士でも「百貨店の万年筆売場が書斎だとしたら、カキモリはカフェで一筆箋に書くというような日常を豊かにしていきたい」と、競合せずお互いの相乗効果を発揮している。
3〜4年経つと自分たちがやりたいことが変わってきたり、新サービスや商品が生まれたりして、それに合わせてお客様も変わってくるので、結果的に店舗をプチリニューアルしている。次のリニューアルでは、海外のお客様の高級志向を感じ取り、一点もののペンなどを置くコーナーを増設する。カキモリも15年が経ち、変化を渋る流れになりつつあるというが、嫌がられても強制的に変化を起こしていくのが経営者の役目なのかも、と考えている。
「お客様が文具を買って帰り、使うところまで想像する」ことで、ストーリーを生み出してきた。店舗はストーリーを伝える装置で、実に美しいホームページもそう。ストーリーの費用対効果は分かりづらいが、「あまり期待しすぎないで伝え続けることが大事」。小さい頃、「絵の具を混ぜて絵を描くのが楽しかった」という思い出を想起させるインクスタンドは決して黒字ではないが、これがあることで今、中目黒のスターバックス旗艦店とコラボしてオリジナルインクを売っている。
事業計画はまず手書きで書くという広瀬さん。「これをパソコンで作成すると大変ですよ。手書きって楽ですよね」。頭の中を整理したり、アイデアを書き出したり、一日3ページはなんでもいいから書くことを習慣にしている。この作業はジャーナリングとも呼ばれるが、5〜10分間、頭の中のことをただ書く。日記でもなく、読み返すためのものでもない。どちらかと言えば瞑想に近い。たとえ最初は愚痴から始まっても、最後には前向きな気持ちになっているそう。手紙の話に戻るが、「カキモリとしても手紙には取り組みの難しさを感じています」と広瀬さん。オリジナルの一筆箋やレターセットを作ってはいるが、あくまでちょっと気軽に送るところまで。もし手紙の専門店を作るとしたらサブブランドを作ってやりたいという構想はある。その至極明確なブランディングもカキモリの魅力なのだ。
(写真と文 篠田英美)
Kakimori
東京都台東区三筋1-6-2 営業:11時〜18時 月曜定休
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